婆娑羅(バサラ)
興味を持つ
= 物事に対してもっと知りたい、面白い、といった感情を抱くこと。
俺の人生で興味を持って 飛びついたものが3つある。
1つは 子供の頃の代表的なゲーム機 ファミコン
2つめは 20代前半 アルバム収集に熱中していた頃
縁日に毛が生えたほどの骨董市で見つけた シュガー・ベイブのレコードジャケット
そして 3つめが 俺の妻 ・・・ 婆娑羅(バサラ 39歳)
『あたる 会社員 42歳』 旦那の告白
大学の4年間で必死にアルバイトをしてお金を貯めました。
卒業してから海外に行き 世界を見たかった。
これも俺の興味のひとつ ・・・
見聞を広めてから日本で就職しても遅くないだろう。
渡航先はヨーロッパの20ヶ国を予定していたが数ヶ国ほど周った中で
スペインに行った時 「ここに住もう」 と 決めてしまった。
就職先も簡単に決まり、1度日本に帰りビザを申請してから
またスペインに ・・・
そして4年間 スペインの日本料理店で働きながら言葉も学んだ。
別に料理に興味があったわけではない
ただ スペインの明るい空 と スペイン女性が気に入っただけだ。
と いっても 誰と交際した経験もなく 仕事ばかりの毎日でした。
スペイン人は明るくて陽気な人が多い 特に女性 ・・・
服装にも興味を持った
元々、カルメンなどで着られているような衣装が
俺好みの派手な感じで好きでした。
自分が地味な男なんです ・・・
服装にもこだわらないし ファッションじたいに興味がない。
そういう意味でもスペインは色々と勉強になったし
見聞は十分に広まったと思う。
スペインでの4年間は俺にとって最高の思い出です。
27歳の時に帰国して
地元の衣料品店でアルバイトをしました。
就職はもう少し先だ!
また 海外に行きたくなるに決まっている ・・・
就職すれば会社にも迷惑を掛けるだろう そう考えたのです。
ファッションに興味のない俺が衣料品店に ・・・
スタートからマイナスの要素しかありません。
でもそこは スペインで培った明るさとバイタリティーで乗り越えよう!
と 思っていましたが ・・・
すぐに買い付けと運搬係に回されました。
そして、1年が過ぎた頃に ・・・
明日から私たちと一緒に働いてくれる
アルバイトの方を紹介します と 言われて 集まった地下の売り場に ・・・
いました ・・・
この3年後に俺と結婚をした 妻 婆娑羅(バサラ) 本名は妃陽(ひなた)
まるで ファッション雑誌から飛び出して来たような奇抜な格好
いや ・・・ それこそ スペインのあの情熱的なダンス
カルメンを 「その格好で踊れますよ?」 と 言わんばかりの派手な衣装。
ひなたを見過ぎて 目が飛び出そうになりました ・・・
大好きなんです! こういう服装をサラっと着こなす 格好イイ女性が ・・・
「まず 売り子より 買い付けとか勉強してもらうわね
あたる君 少しの間、面倒見てあげてね」 と 店長が ・・・
「よよよよよよよよよよよ 喜んでぇ~~~~~~」
「田淵ひなた です よろしくお願いします」
きゃ~~ 近くで見ると 顔もメッチャ可愛い~
そして真っ白 ・・・ えくぼもある ・・・
どストライクです~~~~~
こんな人と出会ってしまったら
海外どころの騒ぎではない 日本に骨を埋めるんだぁ~
それから 1週間もしないうちに仲間うちの間で
ひなたにあだ名がつけられた それが ・・・ 「婆娑羅(バサラ)」
日本の歴史
平安・鎌倉・室町・戦国
こういった時代に流行った言葉で 「勝手に振る舞うこと」を意味するが
それに付随するのが粋で派手な出で立ちだったと言う。
まさに ひなたにピッタリのあだ名であった。
でも、共に行動をしたのは2ヶ月ほどですぐに売り子になった。
あの可愛い顔の子を裏方にずっと回すほど店も馬鹿じゃない。
俺は地味ながらも コツコツとアタックを続けた。
他のアルバイトや社員も目をつけていたが
ここは負けるわけにはいかない!
2年かけました ・・・ そして実がなった!
30歳になったころ 付き合ってもいいよと答えが返ってきたんです。
俺はすぐに店を辞めた
アルバイトなんかしてる場合ではない
就職をして 結婚しないと ・・・
そしてすぐに
俺の地元の建築機材を扱う会社に入ることが出来た。
まあ 昔、ダンプを乗っていた親父のコネですけど ・・・
そして とうとう 来ました ・・・
デートです。
お茶くらいは何度かありましたが 本格的なデートは初!
お昼を食べて ドライブをして 夜景を見に行って ・・・ ホテルへ
でも そこで俺は大失敗をしてしまったんです
彼女を ひなたを傷つけるようなことを ・・・
ベッドでの出来事でした ・・・
ひなたのシャツを脱がせた時に なべシャツというのか
さらし と いうのか とにかく胸を押さえつけるような下着を見て
「もしかして ・・・ レズビアン?」
何という言葉を吐いてしまったんでしょうか ・・・
でも 彼女はこう言いました
「私がレズビアンなら あなたとここには来ていないでしょ?」 と
うん 確かに ・・・
この言葉に助けられたのか 撃沈を気付かなかったのかは分かりません。
そのシャツを脱がせると ・・・
真っ白な 大きいおっぱいが 飛び出してきたんです~~~~
この日、俺はすぐに果てました ・・・
ひなたは過去数人の男性とのお付き合いがあったようで
俺を慰めるかのように
「ひなたにあたる」 いいコンビになりそうですね ・・・ と
そして 一晩をかけて ひなたのことを知りました。
ひなたの実家はあまり裕福な暮らしは出来なくて
ひなたが小さい頃に お母さんが洋服のリフォームを始めた と。
お客さんの生地が余ると それを継ぎ足して
ひなたに服を作ってくれたらしく
それが継ぎはぎだらけなので 返って派手な服装になり
最初は嫌がっていたけれど 次第にもっと派手な服を着たい
と 思うようになって 自分でも服を作ってみたり
洋服屋さんで買うにしても 誰も着こなせないような
派手なものを好んで着ていた と いうことです。
俺も伝えました。
派手な服装をサラっと着こなす格好イイ女性が好きです。
だからこの2年間 必死にひなただけを想いやってきました と。
さきほどのシャツの一件も聞きました。
胸が大きいと似合わない服装なんだそうです。
どちらかというと男っぽい印象を与えないと映えてこないと言うことです。
だから 性格も男っぽくなったし
実際に女性から声が掛かることもあったらしい。
俺がレズビアンと言ったのも
全くの的外れではなくて レズビアンの「タチ」のような振る舞いを
しているとさらに格好良く見えるファッションなんです。 と ・・・
うん~ なるほど。 まっ 男が好きな人で良かった。
俺たちはこのあと1年の交際を経て結婚しました。
俺が31歳 ひなたが28歳の時でした。
結婚してわかったけど 本当に性格が男っぽい。
白黒ハッキリしている。
アルバイト当時も見ていたけど
お客さんからデートの誘いがあってもキッパリと断わっていた。
それから3年後 俺たちに子供が誕生する。 男の子です。
俺の仕事も順調
ひなたも出産前にお店を辞めて
以後ずっと専業主婦をしていました。
そして 子供が小学校に入学をした 2年前のことです。
また 働きたいと ・・・ ひなたが
俺は簡単に いいよ と 言いました。 が
その就職先と言うのがココなんです ・・・
ここで洋裁教室を開きたいと言うんです。
いくら洋裁が得意でも専門学校も行っていない妻が
出来るのか?と聞きますと
母親も何の免許も持っていなのにリフォームを始めたから
私にも出来るはずと ・・・
実は今住んでいるこの家は俺の親の持ち物で
まあ 借りているわけです。なので ひなたが
洋裁教室を始めたいと言ってるけどいいですか?
と 尋ねると 親父が教室用の部屋を別に作ってやると
言いました。
すると俺の家の余った10畳ほどの土地に
あっと言う間に平屋の教室を作ってくれました。
妻はもうこの辺ではその奇抜な格好で
有名人ではありましたが はて ・・・
生徒さんは集まるのかと思っていたら
なんと募集してすぐに定員の20名が応募されたんです。
教室はとても盛況で私も習いたいという方が
あとからたくさん来られて30名に増え
1年後にはさらに増築をして50名になりました。
なかなか商売も上手だなと感心していた
今年の初めのことです。
機材の配達中に家の前を通ると
親父のバイクがとまっていました。
俺の親父は65歳
元ダンプの運転手で今は引退しています
孫を見に昼間でも時々家に来ていることは知っています。
しかも今日は教室の定休日
家でひなたや息子といるのかなと
覗いてみましたがいませんでした。
よくあることですが
コンビニでも行って息子になにか
買ってやってくれてるのかと思い
外に出ようとしましたが
教室で声がしたので覗いてみました。
すると ・・・
増築した部分の部屋(6畳)のテーブルの上に
妻が乗って足を大きく広げて
俺の親父が妻の上げた足を持って
チ〇ポをズコズコと挿入してるではありませんか ・・・
妻のシャツは捲り上げられ 大きなおっぱいも
丸見えな状態です。
心臓が飛び出そうでした ・・・
ど ど どうなってるんや ・・・ 状況が把握出来ません ・・・
俺の親父は怖い人です
近所のヤクザとも対等に渡り歩くほど根性のすわったお方。
体も俺みたいに貧弱でなく 65歳なのにいまだ筋肉隆々です。
その怖い親父に脅かされているのか?
教室を建ててもらったことで 弱みを握られた?
とりあえず 普通の浮気ではないです
相手が親父となると 割って入ることも出来ず
呆然と見ていましたが ・・・
なんか終りそうな雰囲気なので
俺はその場から立ち去りました。
ひなたは 竹を割ったような性格です。
率直に聞けば何か教えてくれるのではないか
そう思い その日の夜 ベッドで聞きました。
「昼間、見たけど 親父とはいつからなんや?」
「バレちゃったのね ・・・」
「いつから?」
「離婚することになる?」
「それは聞いてからやな」
「あたると結婚して 半年ほど 経ったころかな ・・・」
「結婚して10年以上経つで?? 理由はなんなん?」
「理由ねえ~~」
「俺とのセックス?」
「正直に言うから 怒らないって約束して」
「怒るかもしれんけど 手は出さないと 約束する」
「あたるの寿命って 2分でしょ~」
「やっぱりセックスか ・・・」
「2分では悦ぶ暇もないよね ・・・ 1分の時もあるし」
「家でもしてるのか?」
「ときどき ・・・」
「あとは?」
「ホテルとか車とか」
「今日みたいに教室もか?」
「そうね ・・・」
「時間以外に何が違うんや?」
「逝かせてもらえるからね ・・・」
「ほんで ひとつ返事で教室を建てるって
言いよったんやな ・・・」
「あたるに言う前にお父さんに相談してたからね」
「どっちが旦那かわからんな」
「バサラを捨てますか? それとも ・・・ 斬る?」
「やめられへんの?」
「何を?」
「親父との関係」
「うん やめられないと思う」
「離婚したとしても 続けるっていうことか?」
「そうね ・・・」
「じゃあ 捨てる意味はないな ・・・」
「あたるも お父さんのセックスを見て勉強したら?」
親父には内緒ですが
家の中で親父とひなたが関係を持つときに時々覗いています。
あの荒々しい男のセックスにヒィーヒィーと悶える
ひなたを見ると凄く興奮します。
自分が心の底から欲しくって飛びついたものは
なかなか捨てることなんて出来ません。
婆娑羅(バサラ) ・・・
粋で派手な出で立ちで 勝手に振舞う ・・・
まさに ひなたのこと です。
俺は思います。
あの人は遠い遠い昔の日本に 本当に実在していた 婆娑羅だと ・・・
= 物事に対してもっと知りたい、面白い、といった感情を抱くこと。
俺の人生で興味を持って 飛びついたものが3つある。
1つは 子供の頃の代表的なゲーム機 ファミコン
2つめは 20代前半 アルバム収集に熱中していた頃
縁日に毛が生えたほどの骨董市で見つけた シュガー・ベイブのレコードジャケット
そして 3つめが 俺の妻 ・・・ 婆娑羅(バサラ 39歳)
『あたる 会社員 42歳』 旦那の告白
大学の4年間で必死にアルバイトをしてお金を貯めました。
卒業してから海外に行き 世界を見たかった。
これも俺の興味のひとつ ・・・
見聞を広めてから日本で就職しても遅くないだろう。
渡航先はヨーロッパの20ヶ国を予定していたが数ヶ国ほど周った中で
スペインに行った時 「ここに住もう」 と 決めてしまった。
就職先も簡単に決まり、1度日本に帰りビザを申請してから
またスペインに ・・・
そして4年間 スペインの日本料理店で働きながら言葉も学んだ。
別に料理に興味があったわけではない
ただ スペインの明るい空 と スペイン女性が気に入っただけだ。
と いっても 誰と交際した経験もなく 仕事ばかりの毎日でした。
スペイン人は明るくて陽気な人が多い 特に女性 ・・・
服装にも興味を持った
元々、カルメンなどで着られているような衣装が
俺好みの派手な感じで好きでした。
自分が地味な男なんです ・・・
服装にもこだわらないし ファッションじたいに興味がない。
そういう意味でもスペインは色々と勉強になったし
見聞は十分に広まったと思う。
スペインでの4年間は俺にとって最高の思い出です。
27歳の時に帰国して
地元の衣料品店でアルバイトをしました。
就職はもう少し先だ!
また 海外に行きたくなるに決まっている ・・・
就職すれば会社にも迷惑を掛けるだろう そう考えたのです。
ファッションに興味のない俺が衣料品店に ・・・
スタートからマイナスの要素しかありません。
でもそこは スペインで培った明るさとバイタリティーで乗り越えよう!
と 思っていましたが ・・・
すぐに買い付けと運搬係に回されました。
そして、1年が過ぎた頃に ・・・
明日から私たちと一緒に働いてくれる
アルバイトの方を紹介します と 言われて 集まった地下の売り場に ・・・
いました ・・・
この3年後に俺と結婚をした 妻 婆娑羅(バサラ) 本名は妃陽(ひなた)
まるで ファッション雑誌から飛び出して来たような奇抜な格好
いや ・・・ それこそ スペインのあの情熱的なダンス
カルメンを 「その格好で踊れますよ?」 と 言わんばかりの派手な衣装。
ひなたを見過ぎて 目が飛び出そうになりました ・・・
大好きなんです! こういう服装をサラっと着こなす 格好イイ女性が ・・・
「まず 売り子より 買い付けとか勉強してもらうわね
あたる君 少しの間、面倒見てあげてね」 と 店長が ・・・
「よよよよよよよよよよよ 喜んでぇ~~~~~~」
「田淵ひなた です よろしくお願いします」
きゃ~~ 近くで見ると 顔もメッチャ可愛い~
そして真っ白 ・・・ えくぼもある ・・・
どストライクです~~~~~
こんな人と出会ってしまったら
海外どころの騒ぎではない 日本に骨を埋めるんだぁ~
それから 1週間もしないうちに仲間うちの間で
ひなたにあだ名がつけられた それが ・・・ 「婆娑羅(バサラ)」
日本の歴史
平安・鎌倉・室町・戦国
こういった時代に流行った言葉で 「勝手に振る舞うこと」を意味するが
それに付随するのが粋で派手な出で立ちだったと言う。
まさに ひなたにピッタリのあだ名であった。
でも、共に行動をしたのは2ヶ月ほどですぐに売り子になった。
あの可愛い顔の子を裏方にずっと回すほど店も馬鹿じゃない。
俺は地味ながらも コツコツとアタックを続けた。
他のアルバイトや社員も目をつけていたが
ここは負けるわけにはいかない!
2年かけました ・・・ そして実がなった!
30歳になったころ 付き合ってもいいよと答えが返ってきたんです。
俺はすぐに店を辞めた
アルバイトなんかしてる場合ではない
就職をして 結婚しないと ・・・
そしてすぐに
俺の地元の建築機材を扱う会社に入ることが出来た。
まあ 昔、ダンプを乗っていた親父のコネですけど ・・・
そして とうとう 来ました ・・・
デートです。
お茶くらいは何度かありましたが 本格的なデートは初!
お昼を食べて ドライブをして 夜景を見に行って ・・・ ホテルへ
でも そこで俺は大失敗をしてしまったんです
彼女を ひなたを傷つけるようなことを ・・・
ベッドでの出来事でした ・・・
ひなたのシャツを脱がせた時に なべシャツというのか
さらし と いうのか とにかく胸を押さえつけるような下着を見て
「もしかして ・・・ レズビアン?」
何という言葉を吐いてしまったんでしょうか ・・・
でも 彼女はこう言いました
「私がレズビアンなら あなたとここには来ていないでしょ?」 と
うん 確かに ・・・
この言葉に助けられたのか 撃沈を気付かなかったのかは分かりません。
そのシャツを脱がせると ・・・
真っ白な 大きいおっぱいが 飛び出してきたんです~~~~
この日、俺はすぐに果てました ・・・
ひなたは過去数人の男性とのお付き合いがあったようで
俺を慰めるかのように
「ひなたにあたる」 いいコンビになりそうですね ・・・ と
そして 一晩をかけて ひなたのことを知りました。
ひなたの実家はあまり裕福な暮らしは出来なくて
ひなたが小さい頃に お母さんが洋服のリフォームを始めた と。
お客さんの生地が余ると それを継ぎ足して
ひなたに服を作ってくれたらしく
それが継ぎはぎだらけなので 返って派手な服装になり
最初は嫌がっていたけれど 次第にもっと派手な服を着たい
と 思うようになって 自分でも服を作ってみたり
洋服屋さんで買うにしても 誰も着こなせないような
派手なものを好んで着ていた と いうことです。
俺も伝えました。
派手な服装をサラっと着こなす格好イイ女性が好きです。
だからこの2年間 必死にひなただけを想いやってきました と。
さきほどのシャツの一件も聞きました。
胸が大きいと似合わない服装なんだそうです。
どちらかというと男っぽい印象を与えないと映えてこないと言うことです。
だから 性格も男っぽくなったし
実際に女性から声が掛かることもあったらしい。
俺がレズビアンと言ったのも
全くの的外れではなくて レズビアンの「タチ」のような振る舞いを
しているとさらに格好良く見えるファッションなんです。 と ・・・
うん~ なるほど。 まっ 男が好きな人で良かった。
俺たちはこのあと1年の交際を経て結婚しました。
俺が31歳 ひなたが28歳の時でした。
結婚してわかったけど 本当に性格が男っぽい。
白黒ハッキリしている。
アルバイト当時も見ていたけど
お客さんからデートの誘いがあってもキッパリと断わっていた。
それから3年後 俺たちに子供が誕生する。 男の子です。
俺の仕事も順調
ひなたも出産前にお店を辞めて
以後ずっと専業主婦をしていました。
そして 子供が小学校に入学をした 2年前のことです。
また 働きたいと ・・・ ひなたが
俺は簡単に いいよ と 言いました。 が
その就職先と言うのがココなんです ・・・
ここで洋裁教室を開きたいと言うんです。
いくら洋裁が得意でも専門学校も行っていない妻が
出来るのか?と聞きますと
母親も何の免許も持っていなのにリフォームを始めたから
私にも出来るはずと ・・・
実は今住んでいるこの家は俺の親の持ち物で
まあ 借りているわけです。なので ひなたが
洋裁教室を始めたいと言ってるけどいいですか?
と 尋ねると 親父が教室用の部屋を別に作ってやると
言いました。
すると俺の家の余った10畳ほどの土地に
あっと言う間に平屋の教室を作ってくれました。
妻はもうこの辺ではその奇抜な格好で
有名人ではありましたが はて ・・・
生徒さんは集まるのかと思っていたら
なんと募集してすぐに定員の20名が応募されたんです。
教室はとても盛況で私も習いたいという方が
あとからたくさん来られて30名に増え
1年後にはさらに増築をして50名になりました。
なかなか商売も上手だなと感心していた
今年の初めのことです。
機材の配達中に家の前を通ると
親父のバイクがとまっていました。
俺の親父は65歳
元ダンプの運転手で今は引退しています
孫を見に昼間でも時々家に来ていることは知っています。
しかも今日は教室の定休日
家でひなたや息子といるのかなと
覗いてみましたがいませんでした。
よくあることですが
コンビニでも行って息子になにか
買ってやってくれてるのかと思い
外に出ようとしましたが
教室で声がしたので覗いてみました。
すると ・・・
増築した部分の部屋(6畳)のテーブルの上に
妻が乗って足を大きく広げて
俺の親父が妻の上げた足を持って
チ〇ポをズコズコと挿入してるではありませんか ・・・
妻のシャツは捲り上げられ 大きなおっぱいも
丸見えな状態です。
心臓が飛び出そうでした ・・・
ど ど どうなってるんや ・・・ 状況が把握出来ません ・・・
俺の親父は怖い人です
近所のヤクザとも対等に渡り歩くほど根性のすわったお方。
体も俺みたいに貧弱でなく 65歳なのにいまだ筋肉隆々です。
その怖い親父に脅かされているのか?
教室を建ててもらったことで 弱みを握られた?
とりあえず 普通の浮気ではないです
相手が親父となると 割って入ることも出来ず
呆然と見ていましたが ・・・
なんか終りそうな雰囲気なので
俺はその場から立ち去りました。
ひなたは 竹を割ったような性格です。
率直に聞けば何か教えてくれるのではないか
そう思い その日の夜 ベッドで聞きました。
「昼間、見たけど 親父とはいつからなんや?」
「バレちゃったのね ・・・」
「いつから?」
「離婚することになる?」
「それは聞いてからやな」
「あたると結婚して 半年ほど 経ったころかな ・・・」
「結婚して10年以上経つで?? 理由はなんなん?」
「理由ねえ~~」
「俺とのセックス?」
「正直に言うから 怒らないって約束して」
「怒るかもしれんけど 手は出さないと 約束する」
「あたるの寿命って 2分でしょ~」
「やっぱりセックスか ・・・」
「2分では悦ぶ暇もないよね ・・・ 1分の時もあるし」
「家でもしてるのか?」
「ときどき ・・・」
「あとは?」
「ホテルとか車とか」
「今日みたいに教室もか?」
「そうね ・・・」
「時間以外に何が違うんや?」
「逝かせてもらえるからね ・・・」
「ほんで ひとつ返事で教室を建てるって
言いよったんやな ・・・」
「あたるに言う前にお父さんに相談してたからね」
「どっちが旦那かわからんな」
「バサラを捨てますか? それとも ・・・ 斬る?」
「やめられへんの?」
「何を?」
「親父との関係」
「うん やめられないと思う」
「離婚したとしても 続けるっていうことか?」
「そうね ・・・」
「じゃあ 捨てる意味はないな ・・・」
「あたるも お父さんのセックスを見て勉強したら?」
親父には内緒ですが
家の中で親父とひなたが関係を持つときに時々覗いています。
あの荒々しい男のセックスにヒィーヒィーと悶える
ひなたを見ると凄く興奮します。
自分が心の底から欲しくって飛びついたものは
なかなか捨てることなんて出来ません。
婆娑羅(バサラ) ・・・
粋で派手な出で立ちで 勝手に振舞う ・・・
まさに ひなたのこと です。
俺は思います。
あの人は遠い遠い昔の日本に 本当に実在していた 婆娑羅だと ・・・
相互リンクサイト |
相互リンクサイト |
相互リンクサイト |
| 旦那の告白 | 22:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑